良く効く!子供の不登校が気にならない考え方
はじめに
不登校の子どものことが頭から離れず心が休まらない。そんな不登校で憔悴しきったお母さんが聞かされるアドバイスは次のようなものだと思います。
子どものことは忘れて気晴らししたら
人生は一度きりなんだから自分の人生は楽しんだら
不登校はすぐに解決するものではありません。
だから四六時中不登校のことばかり考え、子ども中心の生活を過ごしていれば先にお母さんの方が参ってしまいます。
つまりこれらのアドバイスは「少し休んだら」ということなのです。
だから少しは子どものことから離れて活力の回復を勧めるのは理に適ったことです。勿論、気持ちを切り替えてアドバイス通り、一旦子どものことから距離をおいて気分転換ができるお母さんもいるでしょう。
しかし気晴らしや人生を楽しむことをアドバイスされたお母さんはきっとこう反論するのではないでしょうか。
「気晴らしができるならとっくにやっている。しかし子どものことが頭から離れず、そんな気になれない」
なぜお母さんは不登校の子どもに執着し、気分転換ができないのでしょうか。
以下このことについて解説します。
不登校の我が子に執着してしまう3つの理由
➀子供の将来への不安
子どもがこのまま学校に行かずに引きこもりになるのではないか。
学校にも行かず就職もできないのではないか。
子どもの将来を悪いほうにばかり考えてしまい、自分のことが手につかなくなってしまうのです。
そのために周囲の人間や担任の先生に対してイライラが募ることもあります。
学校の先生に対するイライラについては前回書いていますので参考にして頂けたら幸いです。
しかしこれは純粋に子供の将来が心配ということもありますが、自分の老後に自立しない子どもが負担になるのではないかとの不安もあります。
子供の将来や自分の人生設計は一旦置いて、現在の自分の状況を冷静に受け止めたほうが良いでしょう。
➁子どもへの罪悪感
子どもが不登校で苦しんでいるのに自分ばかり楽しいことや気晴らしするのは不謹慎ではないかと気分転換をすることに罪悪感を持つことです。
苦しむ子どもに寄り添いたい気持ちは理解できますが、不登校の子と生活することは大きなストレスになりますので、共倒れしないためにも適度な距離を取る必要があります。
➂世間の非難に対する恐れ
世間体を気にするのも気晴らししようという意欲を失わせます。
例えば不登校の子どもをそのままにして自分だけ気分転換をしたら、他人に非難されるのではないかと考えてしまうからです。
他人の目を気にしすぎると何もできなくなるので、直接非難されたのでなければ、あまり気にしすぎないようにしましょう。
子どもの不登校が気にならない考え方
お母さんが不登校の子どもに執着し、気分転換ができない理由は以下の3つです。
➀子供の将来への不安
➁子どもへの罪悪感
➂世間の非難に対する恐れ
そしてこの3つの理由の一般的なアドバイスを書き添えてみました。
全て正しい対応ですが、あまり出来そうにないかもしれません。
なぜならばこれら3つの心理的な要因は、自然に沸き起こってくるのであり、無理に押さえつければますます気になってしまう性質のものだからです。
つまり「気にするな」というアドバイスはあまり意味がないのです。
さらに「他のことを考えて気分転換をしたら良い」というアドバイスもお母さんたちにとっては同様に意味のないことです。
ではどうすればよいか。
それには不登校の子供への考え方を変えることです。
子どもに対して一段上から俯瞰した視点を持つことです。
言い換えるなら客観的な見方をするということになります。
この一段上から自分を客観的にみる見方を心理学用語でメタ認知といいます。
例えば子どもの不登校はお母さんたちにとってマイナスの要因ばかりです。
普通に考えたら子供の将来と自分の将来を不安に思うことは当然です。
しかしそこを人生という一段上の視点からとらえてみたらどうでしょうか。
たとえば納税額日本一の実業家で作家の斎藤一人さんはこう言っています。
親は子どもより「経験」があるので、「そんなことをすると失敗する!」とか、「そんなことすると苦労する!」というのがわかるんですよね。でも子どもはそれをしたいのです。失敗したとしても、苦労したとしてもそれを経験したいのです。
~中略~
子どもの欲求をずっと抑えつけていると、思春期になったあたりで、ドカンと爆発します。「経験したいのに、させてくれない!」というジレンマが爆発するのです。その爆発が、外に向かうときは、親に対して暴れたり、怒鳴ったりします。その爆発が、内に向かうときは、引きこもりになったり、精神的な病気になることもあります。
斎藤一人著
『神様に上手にお願いする方法』
このように子供が何でも経験したがっているとメタ認知的に考えれば、
「不登校は、子どもが学校に行かなかったらどうなるか、学びたがっているのだ」とメタ認知することも可能なのではないでしょうか。
子どもが学校に行かないとどうなるかを学びたがっているのなら親は何もそのことに
気にしなくてもよいということになります。
不登校は子どもが望んだ経験だからです。
だから子供の世話に疲れた親が気分転換をするのは何も問題がないということになります。
私は斎藤一人さんの考え方に賛同してくださいとは申しませんがメタ認知の考え方はお判りいただけたと思います。
自分で自分を許すことの大切さ
さて子供の不登校に対してメタ認知的に考えることをができたとしましょう。
しかしそれでも不安や罪悪感が湧き上がってくる場合があります。
なぜならばメタ認知によって自分と子どもの距離感に客観的に捉えられたとしても、
多少焦りはなくなるかもしれませんが、子どもの不登校が改善しない限り。不安や罪悪感は消えないでしょう。
不安や罪悪感を消すには、不安や罪悪感を感じている自分を認めることです。
湧き上がった感情を我慢することはかえってその感情を意識することになってしまいます。
つまり子供のたいして罪悪感を感じるている自分を許すことです。
子供の将来が不安だと感じている自分を許すこと。
不登校の子を持って世間の非難を恐れている自分を許すこと。
自分で自分のマイナスの感情を認め、自分を許すことで子どもの不登校に疲れた自分を許すことができるようになります。
自分で自分を許すことができるようになれば、子どもの人生と親の人生は別物であると気付くようになり、たとえ子供が不登校であっても、親の自分は自分で幸せに暮らしてもいいと思えるようになります。
それは決して無責任だということではありません。
親として子供にできる事には限度があると知ったのです。
親としての限度を知ること。
それが子どもの人生を尊重し自分の人生を尊重することにつながります。
まとめ
最後にこれまで述べてきたことをまとめてみます。
親が不登校の子供に執着してしまう理由として➀子供の将来への不安➁子どもへの罪悪感➂世間の非難に対する恐れがありました。
そしてその対策として、
自分で自分の気持ちを俯瞰的に見るメタ認知を身に着けること。
子どもに対する罪悪感や不安を感じている自分を許すこと。
メタ認知的な見方を身に着け、不都合なことを考える自分を許すことで子供の人生と自分の自分が別物であると納得し、たとえ子供が不登校であっても自分は幸せであってもいいと考える事が出来るようになります。
以上子供の不登校が気にならない考え方を述べてきました。