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【ストレスがなくなる】言ってもやらない人と上手につきあう方法

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はじめに

 

人間は自分に利害が絡んだ時 、出来の悪い他人が許せないし、理解の遅い他人を許すことができません。

 

そして同じように出来の悪い自分が許せないし、結果を出せない自分を許すことができないのです

 

つまり未熟な人間は自分も他人も許すことができないのです。

 

しかし未熟な自分を克服しようという感情は、向上心の表れであり、成長の原動力であるという側面もあります。

 

ただし自ら成長しよう、向上しようと努力しても必ず結果が出るとは限りません。

 

だからといって努力が無意味だと申しているのではありません。結果を出すことは大切なことです。しかしあまり結果を出すことにこだわりすぎるとそれがストレスとなり、精神的な不調を引き起こす場合があります。

 

ここでは未熟な他人や自分とのストレスとうまく付き合う方法を解説していきたいと思います。

 

 

自分の未熟さを認めること

人間の未熟さについてかつての高額納税者日本一で実業家の斎藤一人さんが面白いことを言っています。

 

「それとね、人間には未熟さも必要なんです。例えば、宇宙に地球という惑星が一個しかないと、地球が大きいかどうかもわからないよね。

~中略~

でね、未熟だから自分の成長もわかるし、未熟な人とか成長の遅い人がいるから、成長の早い人もわかるんです。成長が遅いからいけないとかじゃないよ。私たちはものすごく長いスパンで生きてるから、ゆっくりでかまいません。で、そのことが問題じゃないのもっと大事なのは、学びの悪い人とか、学ぼうとしない人を許すことです。そしてそういう人を許すためには、自分の未熟さを知ることだよね。」

斎藤一人著『斎藤一人 俺の人生』(太字は原文のママ)

 

 

未熟だからこそ人間は成長できるのであり、成長の遅い人がいるから成長の早い人が分かる。

つまり 未熟が悪いものと頭ごなしに決めつけるのではなく、未熟であることを基準に他人や自分の成長を測ることができるというわけです。

 

決して未熟のままでいいという意味ではありません。未熟なものにもそれなりの価値があると認めているのです。

そして未熟だからこそ人間は成長できるのであり、未熟でないということはすでに完成しているのですからもう成長しないということになります。

 

成長する必要のない完璧に完成された人間など本当にこの世にいるのでしょうか。

 

答えは言うまでもないでしょう。

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他人を許すには自分を許すこと

 人間は他人の未熟を知ることで自分の未熟を知ることができます。そして人間は未熟だからこそ成長できるのです。

 

仏教でいう「煩悩即菩提」。煩悩つまり悩みや欲望があるからこそ、それを消滅させることで菩提つまり悟りを得るということです。

 

斎藤一人さんは仏教の影響を受けていますので考えも自然と仏教に似てくるのでしょう。

 

それはさておき問題は先の引用文

「学びの悪い人とか、学ぼうとしない人を許すことです。そしてそういう人を許すためには、自分の未熟さを知ること」

 

ここが厄介なところです。普通人間は自分が苦も無くできることは、他人もできると思い勝ちです。

 

例えば有名大学出身で学力の高い講師が生徒に教えるのはあまり上手ではないということがよくあります。生徒がどこでつまずいているのかが分からないからです。

 

同じようにたいていの人は皆が当たり前にやっていることや社会常識なども従うべきものだと考えます。自分もそういったものに従っているからです。

子どもの不登校がまさにその典型です。

 

たいていの親は自分は普通に学校に通っていましたから。

 

それでは学びの悪い人や学ぼうとしない人」をどうやって許すのか。

 

それについて斎藤一人さんはこう言っています。

 

「人をゆるすためには自分をゆるせなきゃいけません。あのね、私は学校も行かなきゃ宿題もやっていかないし、先生の言うことも聞かない。親の言うことも聞かなかったの。

ただ、他の人と違ったのは、私はそういう自分のすべてをゆるしていたんだよね。自分をゆるせてる。普通の人は劣等生だとか何だって、自分を責めちゃうの。親の言うこときかなかったとか、学校の成績が悪かったとか。

でもね、私は自分がゆるせるから、人のこともゆるせるんです。自分のできの悪いのをゆるせるとね、人の出来の悪いのってゆるせるものなの。」

斎藤一人『前掲書』

 

つまり自分の未熟を許すことで他人の未熟を許そうということです。そのためには

まず自分が未熟であることを自覚しなければなりません

 

だからこそ自分の未熟さを知ることが大切なのです。

 

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距離を取ること

「自分をゆるせるから、人のこともゆるせる」

 

このように斎藤一人さんは述べていますが、いきなり未熟な人を許すことは難しいでしょう。

 

それならば徐々に許せるようになれば良いのです。

 

そのためにはまず未熟な人と適切な距離をとることからはじめてはいかがでしょうか。

 

人間の距離は実際の肉体的な物理的距離と自己と他者という精神的な距離の二種類あります

 

不登校の場合、

まず物理的な距離を取るには、不登校で子どもが家にいても、父母共に仕事があれば、就業時間は離れた場所にいます。もし自宅で仕事をするのでも子どもと部屋を別にして極力相手と顔を合わせないようにします。

 

実際人間は同時に二つのことはできないので目の前に気になる相手がいなければ、あまりそのことを考えなくなります。


だからどうしても気になる相手からは無理やりにでも距離を取ったほうがいい結果になる場合が多いのです。そうやってまず自分が冷静になれれば徐々に未熟な相手も許せるようになると思います。

 

次に精神的な距離を取るには、自分と他人が別人格であることを自覚することです。


例えば母親は子どもの大家さんか家政婦さんであると考えて食事や洗濯など最低限のことだけ子供とかかわってみてはいかがでしょうか。


親だと思うから子供を学校に行かせなければと思うし、将来も心配になるのです。でも大家さんか家政婦さんなら身近でお世話をするので多少心配はしますが、他人の子ですのであまり深入りはしないはずです。

 
身もフタもない言い方ですがいくら母親でも子どもの代わりにその子の人生は過ごせないのです。たとえ失敗しても子ども自身で学んでもらうより他にない。


そのことを母親自身がだんだんと納得するためにも、子どもの大家か家政婦と自ら任じて精神的に距離を取ることをおススメします。

 

まとめ

未熟な他人とのつきあいでストレスを感じないようにするには、

・自分の未熟さを知ること

・自分の未熟さを許して他人の未熟さを許すこと

 

この二つが大切だということ。そして他人と適切な距離を取ることによって徐々に自分と他人の未熟さを許せるようになるということを解説しました。

 

 

以上です。

 

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